なぜ新・スパイ防止法が必要なのか(8)拉致事件を許した日本人の精神構造:総括編

 拉致事件について、独裁国家で社会主義国の北朝鮮が喜ぶような発言をする人々の精神構造はどうなっているのでしょうか?

 一つには、戦後長きにわたり猖獗(しょうけつ)を極めた左翼思想や社会主義(国)礼賛思想に毒されていたと考えることもできます。

 作家の小田実氏は「彼ら(筆者註・北朝鮮の人々)の暮らしには、あの悪夢のごとき税金というのがまるっきりない。これは社会主義国を含めて、世界のほかの国にも、まだどこにも見られない事なので、特筆大書しておきたい(中略)北朝鮮がほとんど完全に自給できる国」と、『私と朝鮮』(筑摩書房、1977年)で述べていますが、このように北朝鮮を「地上の楽園」とする見方が戦後存在しました。

 現実は、地上の楽園どころか、貧困と飢餓と圧制の「地獄」だったわけですが、北朝鮮(社会主義国)は善で、自国(日本)やアメリカ(資本主義国)は悪だとする考えを日本の左派知識人は持っていたのです。

 朝鮮戦争は韓国側が仕掛けたと噓偽りを書いた『昭和史』(岩波書店、1955年)という新書がベストセラーになったこともありました。実際は北朝鮮による侵略だったのですが、執筆者(歴史家の遠山茂樹・今井清一・藤原彰)たちは「米空軍戦闘機部隊は北九州に集結していた。そして北朝鮮が侵略したという理由で韓国軍が38度線をこえ進撃した」と書いたのでした。

 冷戦が終わり、ソ連をはじめとする社会主義国が崩壊、北朝鮮の無残な現実が明らかになった今、左派政治家・知識人といえども、社会主義や北朝鮮を絶賛する人は少ないでしょう。では、彼らはなぜ北朝鮮に甘いのか?

 その答えは、彼らがよく口にする「米支援」「人道援助」「日本による植民地支配」「戦後補償」という言葉に現れています。

 要は「北朝鮮の人々は飢餓に苦しんでいる。そういった時にこそ、人道的に食料援助をして助けるべきだ」「日本は35年間、朝鮮半島を植民地支配したし、強制連行した。戦後補償もせずに、拉致問題の解決だけ訴えるのは公平ではない」というのです。つまり、ヒューマニズムと過去の「負い目」から、北朝鮮の人々を支援し、贖罪したいということでしょう。

 一見、もっともらしく聞こえますが、これらの言説は見当違いです。人道というならば、なぜまず、不当に拉致された日本人の救出を(北朝鮮支援と同じくらい)声高に叫ばなかったのでしょう。拉致被害者の家族に寄り添って活動してこなかったのでしょうか。

 2000年代に入っても、いまだに拉致事件に対する日本人の怒りを「朝鮮に対する憎悪と敵視感情、蔑視と差別感情」「金正日憎し」に根ざすものと非難する左派知識人もいますが、その知識人は、拉致を命じた金正日が憎くないのでしょうか。北朝鮮の独裁政権に敵対感情を抱かないのでしょうか。一般の日本人は、朝鮮人に対する差別感情から拉致事件に怒っているわけではありません。何より、北朝鮮に甘い顔をして支援したとしても、支援物資は国民に浸透せず、拉致被害者も帰ってこないことに、いい加減気が付くべきでしょう。

 植民地支配と拉致問題を同列に扱うのもおかしいです。戦前・戦中は朝鮮人も日本人も大日本帝国の一部を構成していたのですし、当時、植民地を持つことは先進国が追い求める一つの価値でした。現代の価値観だけで、過去を裁くのは正しい歴史の見方ではないでしょう。

 一方、拉致事件は北朝鮮が他国(日本)に仕掛けた国家犯罪であり、人権無視のテロ行為です。よって、植民地支配の問題と拉致事件を同列に扱うことはできません。

 スパイ防止法の制定はもちろん重要なのですが、多くの日本人がおそらく無意識のうちに感染している「お花畑的」「ハト派的」思考からの脱却も大切です。脱却しなければ、法律だけ制定しても魂がこもらないでしょう。

つづく

 

濱田 浩一郎(はまだ こういちろう)
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。
歴史学者、作家、評論家。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
兵庫県立大学内播磨学研究所研究員・姫路日ノ本短期大学講師・姫路獨協大学講師を歴任。
現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し迫り、解決策を提示する新進気鋭の研究者。

著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『あの名将たちの狂気の謎』(中経の文庫)、『日本史に学ぶリストラ回避術』(北辰堂出版)、『日本人のための安全保障入門』(三恵社)、『歴史は人生を教えてくれる―15歳の君へ』(桜の花出版)、『超口語訳 方丈記』(東京書籍のち彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『超訳 橋下徹の言葉』(日新報道)、『教科書には載っていない 大日本帝国の情報戦』(彩図社)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)、『靖献遺言』(晋遊舎)、『超訳言志四録』(すばる舎)、本居宣長『うひ山ぶみ』(いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ16、致知出版社)、『龍馬を斬った男 今井信郎伝』(アルファベータブックス)、『勝海舟×西郷隆盛 明治維新を成し遂げた男の矜持』(青月社)、共著『兵庫県の不思議事典』(新人物往来社)、『赤松一族 八人の素顔』(神戸新聞総合出版センター)、『人物で読む太平洋戦争』『大正クロニクル』(世界文化社)、『図説源平合戦のすべてがわかる本』(洋泉社)、『源平合戦「3D立体」地図』『TPPでどうなる? あなたの生活と仕事』『現代日本を操った黒幕たち』(以上、宝島社)、『NHK大河ドラマ歴史ハンドブック軍師官兵衛』(NHK出版)ほか多数。
監修・時代考証・シナリオ監修協力に『戦国武将のリストラ逆転物語』(エクスナレッジ)、小説『僕とあいつの関ヶ原』『俺とおまえの夏の陣』(以上、東京書籍)、『角川まんが学習シリーズ 日本の歴史』全15巻(角川書店)。


関連記事

  1. なぜ新・スパイ防止法が必要なのか(3)

  2. なぜ新・スパイ防止法が必要なのか(2)

  3. なぜ新・スパイ防止法が必要なのか(1)

  4. なぜ新・スパイ防止法が必要なのか(9)北朝鮮の拉致を防げ!

  5. なぜ新・スパイ防止法が必要なのか(6) 拉致事件を許した日本人の精神構…

  6. なぜ新・スパイ防止法が必要なのか(13) スパイ・ゾルゲの亡霊