英語「spy」(スパイ)の原義は「探り出す」ですが、スパイ活動に長けた大国の一つが、中国です。
中国は、異民族の侵入や王朝交代、群雄割拠といった混沌の歴史に彩られているだけあって、スパイ活動についても、古くから考察しています。その代表例が春秋時代の軍事思想家・孫武が書いた兵法書『孫子』でありましょう。
『孫子』第十三編「用間」(間とはスパイのこと)には、「用間を通して敵情を知り、先手を打つことによって、敵よりも有利な立場にたつことができ」と、敵情偵察の重要性が説かれた上で、スパイを5つに分類しています。すなわち、郷間、内間、反間、死間、生間です。
郷間とは、敵国の住民を懐柔することによって目的を達成すること。内間とは、敵国の要人を賄賂によって籠絡し、裏切らせること。反間とは、敵からスパイとしてきた人物を気付かないふりでもてなし、敵のスパイを騙すこと。死間とは、偽情報を流し、敵方のみならず、味方のスパイにも偽情報を信用させて敵のスパイを騙すこと。生間とは、使者として敵国に入り、情報を収集し、情報を自国に持ち帰ることです。
物事を自国に有利な方向に導く数々の計略が説かれています。一見して地味な手法かもしれませんが、いや地味な方法だからこそ、これらを駆使してこられたら、なかなかやっかいなことになります。そして、現代においても中国は、この孫子の策に則したかのようなスパイ活動を展開しているのです。それが「三戦」と言われるものです。三戦とは、世論戦、心理戦、法律戦であり、これらは中国人民解放軍「政治工作条例」に記されています。
世論戦は、敵が反中国政策をとることがないように、国内と国際世論に影響を与えること。心理戦は、敵の軍人と文民に対し、抑止・衝撃・士気低下を目的とする心理作戦を仕掛け敵の戦闘遂行能力を低下させること。法律戦は、国際法と国内法を使い、中国の軍事行動に対して予想される国際世論の反発に対処し、自己正当化することです。
例えば2010年、ベトナムの漁船を中国が拿捕したことも揺さぶりをかける「心理戦」ですし、中国艦や漁船が尖閣諸島周辺等に度々、侵入してくるのも日本側の感覚を少しずつ麻痺させて既成事実化しようとする行動です。
「戦わずして勝つ、利益を得る」―これがスパイ・工作活動の肝です。そして中国はこの非常に巧妙なやり方で、日本に対しても牙を向けてきているのです。
他にも、中国は「スパイの巣窟」と言われる教育機関「孔子学院」を世界各国に設立したり、スパイを政界に紛れ込ませたりして、情報を収集しているようです。これに対抗するには、一つには新・スパイ防止法の制定しかありません。以上、見てきたように、主として中国・北朝鮮などのスパイ・工作活動を抑止することが現代日本におけるスパイ防止法制定の大きな眼目であると筆者は考えています。
(つづく)
濱田 浩一郎(はまだ こういちろう)
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。
歴史学者、作家、評論家。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
兵庫県立大学内播磨学研究所研究員・姫路日ノ本短期大学講師・姫路獨協大学講師を歴任。
現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し迫り、解決策を提示する新進気鋭の研究者。
著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『あの名将たちの狂気の謎』(中経の文庫)、『日本史に学ぶリストラ回避術』(北辰堂出版)、『日本人のための安全保障入門』(三恵社)、『歴史は人生を教えてくれる―15歳の君へ』(桜の花出版)、『超口語訳 方丈記』(東京書籍のち彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『超訳 橋下徹の言葉』(日新報道)、『教科書には載っていない 大日本帝国の情報戦』(彩図社)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)、『靖献遺言』(晋遊舎)、『超訳言志四録』(すばる舎)、本居宣長『うひ山ぶみ』(いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ16、致知出版社)、『龍馬を斬った男 今井信郎伝』(アルファベータブックス)、『勝海舟×西郷隆盛 明治維新を成し遂げた男の矜持』(青月社)、共著『兵庫県の不思議事典』(新人物往来社)、『赤松一族 八人の素顔』(神戸新聞総合出版センター)、『人物で読む太平洋戦争』『大正クロニクル』(世界文化社)、『図説源平合戦のすべてがわかる本』(洋泉社)、『源平合戦「3D立体」地図』『TPPでどうなる? あなたの生活と仕事』『現代日本を操った黒幕たち』(以上、宝島社)、『NHK大河ドラマ歴史ハンドブック軍師官兵衛』(NHK出版)ほか多数。
監修・時代考証・シナリオ監修協力に『戦国武将のリストラ逆転物語』(エクスナレッジ)、小説『僕とあいつの関ヶ原』『俺とおまえの夏の陣』(以上、東京書籍)、『角川まんが学習シリーズ 日本の歴史』全15巻(角川書店)。