米国は2010年、ロシアのスパイ10人を摘発し、同年7月、西側のスパイ4人と中立国オーストリアのウィーンで「スパイ交換」しました。映画の1シーンのような出来事が世界に報じられました。
米国で摘発されたロシアのスパイ団は、KGB第1総局の後継機関であるロシア対外情報局(SVR)の指揮下にある非合法スパイ組織で、「米政策担当者との関係構築および機密情報の入手」との任務を担っていました。
ロシアが「スパイ交換」で米国側に手渡した西側スパイには、アレクサンドル・ザポロジスキー元SVR大佐がいました。大佐はオルドリッチ・エイムズCIA対ソ連防諜部長(94年逮捕)など米政府内で活動するスパイの存在を米側に通報した二重大物スパイです。このことは米露が現在も冷戦時代以上に激しい諜報戦を繰り広げていることを物語っていると言えるでしょう。
旧ソ連時代を含めロシアは、日本に対して盛んにスパイ活動を行ってきました。
2008年1月、内閣情報調査室の職員が10年間も在日ロシア大使館の2等書記官(GRU所属)に政府の内部情報を提供する事件が起こっています。こうした事件が「スパイ天国」によって発覚せず、今も行われているのは間違いありません。